ヒューマン三重(代表・伊藤真哉、三重県鈴鹿市)の会社概要です。IT系の人材育成や研修プログラム作成に特化した会社です。半導体やスマホ業界での技術王国・日本の復権への道を追求しています。

会社概要

  • 電話番号:0593-92-8202
  • ファクス(FAX):0593-73-5812
  • 住所:三重県鈴鹿市算所 三丁目16-30 1階
  • 資本金: 2,150万円
  • 屋号:ヒューマン三重
  • 代表:伊藤真哉(いとう・しんや、Shinya Ito)
  • 郵便番号:〒513-0806

技術王国・日本の復権を

ヒューマン三重は、半導体業界や携帯・スマホ業界などでIT技術の次世代を担う人材の育成を図っています。

韓国・台湾勢に引き離される半導体業界。

日本勢九社を合計してもサムスンの出荷台数に届かぬ携帯。

不採算事業からの撤退を決断できぬ総合電機。

これほどの窮地でも構造転換が進まぬ理由は何でしょうか。

1980年代後半の独占状態

1987年にさかのぼれば、NEC、日立、東芝がワンツースリーに輝き、富士通、松下電器産業、三菱電機の3社が7位から9位に顔を並べる独占状態でした。まさしく様変わりです。

日米半導体協定

振り返れば、1986年9月に日米半導体協定が結ばれるまで、電機メーカーはわが世の春を謳歌していました。ところが、日本市場の開放と政府間協議でダンピング(不当廉売)防止が取り決められると、官の保護の下、コストを転嫁し利潤を乗せた“適正価格”での輸出になだれ込みました。

それは、短期的には日本メーカーを潤しましたが、中長期の利益を新規参入者に剥奪される契機となりました。翌1987年には台湾TSMCが創業、その翌年の1988年には、サムスンが売上高を3倍近く伸ばし、世界ランキングの18位に躍り出ました。日欧米企業以外が20位以内に入ったのは、1988年が初めてです。

DRAMからシステムLSI

以来、ずるずるとその地位を下げる過程で、日本勢の大半が価格の乱高下の激しいDRAM(記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリ)を諦め、システムLSI(大規模集積回路)に特化するという戦略転換を掲げました。しかし、結局のところ、DRAMの穴を埋める柱には育ちませんでした。

製造は台湾、中国

そこには2つの誤算がありました。まず、半導体産業においてデザイン・設計は米国で、製造は台湾、中国で行なうという水平分業が成立、日本を“パッシング”してしまったこと。

次に、LSIのジレンマ---カスタマイズすれば付加価値は高いが量はさばけない--から脱却できなかったこと。しかも、完成品のライフサイクルは短くなる一方です。共通部分をプラットフォーム化し、マイナーチェンジで特定顧客に対応することが大きな課題となってきました。