ヒューマン三重(伊藤真哉:代表)は、IT分野の派遣技術者の研修・人材育成センターです。携帯電話やモバイル通信インフラにおける5Gエンジニアや仮想化ネットワーク技術者の人的リソースの開発を主要課題の一つととらえています。

5Gや仮想化エンジニアの育成

ヒューマン三重は、携帯電話やモバイル通信インフラにおける5Gエンジニアや仮想化ネットワーク技術者の人的リソースの開発を主要課題の一つととらえています。

5Gの巨大投資に沸くモバイル・携帯通信インフラ業界で、専門の技術者が求められています。また、基幹網から基地局網まで全てを仮想化した新しいモバイル・ネットワークづくりが始まろうとしています。

汎用サーバーのソフトウエアをアップデートするだけ

仮想化ネットワークの導入により、専用ハードの費用を削減できるだけでなく、設置済みの汎用サーバーのソフトウエアをアップデートするだけでワンランク上の通信網へと移行できます。設備投資の抑制とともに、迅速なスピードで5Gの通信インフラを構築できるのがメリットです。

キャリアからの需要増

「高速大容量、低遅延、同時多接続」という機能をフルに発揮するには、基幹網から基地局網まで全てに5Gの設備を導入する「スタンドアローン」のネットワークを構築する必要がありますが、ドコモ、KDDI、ソフトバンクの国内3大キャリアは当初、基地局網だけを5G設備にする「ノンスタンドアローン」で5Gサービスを始めます。仮想化ネットワークの技術は、大手キャリアを含めて大きな需要が見込まれています。

通信ネットワークの仮想化は、5G時代の世界各国の通信キャリアにとっても悲願の課題。処理能力の懸念から「時期尚早」と判断する会社もありますが、先行した楽天モバイルが次世代ネットワークの構築に成功するのか、投資に見合った貧弱な通信網ができるだけなのか、これからが勝負になります。

携帯電話ネットワークの歴史

ノキア、エリクソン

20世紀の世界の通信機器市場をけん引してきたのは、北欧の2社、フィンランドのノキアとスウェーデンのエリクソンです。

ノキアは、モトローラの通信インフラ部門やアルカテル・ルーセントなど、米国系企業の買収で巨大化してきました。一方のエリクソンは、経営破綻したノーテルネットワークスの無線インフラ部門を買収した歴史があります。

アメリカはモトローラ

かつて1980年代の日米通商摩擦で、アメリカ政府の対日圧力によって日本の通信機器市場を切り開いたのが「政商」と呼ばれたモトローラとノーテルでした。また仏アルカテルと合併する前の米ルーセントは米通信大手のAT&Tの流れをくみます。米国名門のベル研究所を傘下に持ち、米政府を突き動かすための人脈は豊富とされます。

ファーウェイの台頭

米国の通信企業の血筋を引いて世界の通信機器メーカーのトップを走ってきた北欧2社に対抗する勢力がファーウェイです。それに中国ZTEと韓国サムスン電子が、5Gの通信設備をめぐって激しく追い上げます。

各国の通信キャリアのインフラを担う基地局ベンダーの勢力図は、国ごとに偏りがあります。例えば、米国市場は前出の北欧2社がほとんどを占め、ファーウェイ製品は締め出されています。当然、中国ではファーウェイとZTEのウエートが高く、韓国ではサムスン電子のシェアが高くなっています。

サムスンが加わる

こうした勢力図は5Gの設備投資でどう変わるのでしょうか。まず動きがあったのは米国市場です。2018年からベライゾンとAT&Tは、5Gを固定回線の代わりに使うFWA(固定無線アクセス)サービスを始めましたが、この基地局のインフラに、エリクソンとノキアが選定され、さらにサムスン電子が初めて加わりました。

携帯電話システムの世代交代の流れ

1987年:1G(第1世代)

ユーザーは一部の特権階級層携帯は高嶺の花だった

1987年4月、NTTは携帯用の電話機802型を発売し、携帯電話の時代が幕を開けました。すでにNTTは、1979年にアナログ方式(1G)の自動車電話サービスを開始しており、携帯電話サービスはそれを発展させたものでした。契約の際、初期費用として保証金20万円、工事負担金(設備料)7万2000円、契約料800円が必要で、個人が契約するには高価でした。

1991年

小型化で本格的なモバイルコミュニケーションの時代がスタート

1991年4月、超小型化携帯電話と話題になったムーバシリーズが発売されました。重量は802型の3分の1以下にまで軽量化されました。契約の際の初期費用、通話料などが値下げされたことで、この頃から契約台数は爆発的に増えていきました。ムーバDは当時最も薄く厚さ約2センチメートル、ムーバNは市場に投入された初めての折りたたみ式で、話題となりました。

1993年 2G(第2世代)

ついにデジタル化一般への普及期

1993年3月末、NTTドコモは東京地区でPDC方式のデジタル携帯電話サービス(2G)をスタートさせました。翌1994年4月になると、端末の「お買い上げ制」が導入され、それまでレンタル契約のみであったのが購入できるようになりました。これをきっかけに、ユーザー獲得のために各携帯電話機メーカーの開発競争が始まり、個性的なデザインの機種が次々と投入されるようになりました。

1998年 2.5G(第2.5世代)

進歩するデジタル技術 2Gの改良版

1998年7月、KDDIはcdmaOne方式を採用したサービスをスタートさせました。2Gよりも通信速度が速く肉声に近いという特徴があり、2.5Gと呼ばれます。

1999年 iモード登場

iモードスタートでモバイルマルチメディア時代の到来

1999年2月、NTTドコモのiモードがスタートしました。メールのほかに銀行振り込みやチケット予約などができ、それまで通話のみの機能であった携帯電話に、情報端末としての役割が加わりました。

2000年 カメラ付き登場

カメラ付き携帯電話はサービスの幅を大きく広げた

2000年10月、J-フォン(現ボーダフォン)からデジタルカメラを内蔵した携帯電話が発売されました。「写メール」が若者を中心に受け、その後カメラ内蔵は携帯電話の必須機能となりました。

2001年 3G(第3世代)

電話の域にとどまらない高度な情報端末へ

2001年10月、NTTドコモはW-CDMA方式を採用した「FOMA」をスタートさせました。大容量の高速データ通信が可能で、3Gと呼ばれました。その後、KDDIは2002年4月にCDMA2000方式で、J-フォンは2002年10月にW-CDMA方式でそれぞれ3Gサービスを開始しました。

各社はテレビ電話や音楽のダウンロードサービスなどを充実させ、携帯電話は情報端末としての性格を強めました。例えばNTTドコモの「iモードFeliCa対応携帯電話」(おサイフケータイ)は電子マネー「Edy」やクレジット機能「iD」などのアプリケーションをダウンロードし、設定・申し込みをすることで、携帯電話を財布代わりに利用できるシステムを開発しました。

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検索連動ネット広告が急成長中-低予算でも高い効果に支持 2年後に市場の3割うかがう-検索連動ネット広告が急成長中

2003年8月

検索連動型のネット広告の成長が著しい。2002年後半、米国の検索連動広告サービスの最大手であるグーグルとオーバーチュアが日本市場に参入。従来のネット広告以上に高い効果を見込める仕組みが支持され、ともに5000社近くの広告主を獲得している。2005年の市場規模は、2002年のラジオ広告市場の4割強の770億円に達する可能性がある。

検索連動型のネット広告が勢いづいている。火を付けたのは、検索連動広告サービス最大手の米グーグルと米オーバーチュアの日本国内市場参入。それぞれ日本法人が2002年9月、12月と相次いで「アドワーズ広告」「スポンサードサーチサービス」と呼ぶサービスを開始した。

2003年7月時点でアドワーズの広告主の数は5000を超え、ポータル・サイト最大手のヤフー(約820クライアント)を大きく上回る。スポンサードサーチも9月までに5000を超える勢いだ。

主要ポータルがこぞって対応

検索連動広告とは、グーグルやオーバーチュアと提携した検索サイトの検索結果のページに表示されるテキスト広告。今や、Yahoo! JapanやBIGLOBE、MSNなど大手ポータル・サイトがこぞって採用している。

広告主が登録したキーワードと、ユーザーが検索サイトで入力したキーワードが一致した場合に、検索結果とともに広告を表示する。このため、利用者が興味を持っているキーワードに関連した内容の広告を表示できるのが特徴だ。

さらに他のネット広告と異なるのは、広告主が自ら広告料金(クリック単価)を決められ、クリック単価で表示位置(順位)が変わること。アドワーズの場合、1つのキーワードに複数の広告主が出稿する場合、「クリック単価×クリック率」の値が大きい方を上位に表示する。スポンサードサーチはクリック率は関係なく、クリック単価が高いほど上位に掲載される。

また、多くのネット広告は、月額固定または表示されるごとに課金される料金体系だが、アドワーズとスポンサードサーチは、実際のクリック回数分だけ課金される成果報酬型である。

「クリック率は他広告の10倍以上」

この自社で広告料金を設定できる仕組みが、広告予算の少ない中小企業に受け入れられたことで、多数の広告主が集まった。しかも、アドワーズとスポンサードサーチ、両サービスとも、クリック単価のほかに予算の上限を指定できる。クリック回数に応じて予算が徐々に消費され、上限に達した時点で広告の表示が打ち切られるようにできるわけだ。このため、広告予算内で利用でき、中小企業でも導入しやすい。実際、アドワーズでは「中小企業の広告主が圧倒的に多い」(グーグル セールス&オペレーションディレクターの佐藤 康夫氏)。

さらに、「検索キーワードはユーザーの目的そのもの。ユーザーの目的に合致した広告を掲載できるため、高い広告効果を見込める」(オーバーチュア社長の鈴木 茂人氏)のも数多くの広告主を獲得した要因だ。

複数の保険会社の自動車保険料金の一括見積もりサービスを提供するサイト「インズウェブ」を運営するファイナンス・オールでは、「検索連動広告のクリック率は10%超と、ほかのネット広告の10倍以上」(事業企画部 松永 夏奈氏)にもなった。オンライン書店「bk1」を運営するブックワンでは、「実際に本を購入する顧客を獲得する1人当たりのコストが、検索連動広告では従来の約半分の300円台で済んだ」(販売部 ディレクターの三根 竜介氏)。

市場規模はラジオ広告の4割へ

検索連動広告の市場規模は、今後も急拡大を続けそうだ。

米国では、オンライン広告の業界団体であるIAB(インタラクティブ・アドバタイジング・ビューロー)が、検索連動広告のシェアについて、2001年にインターネット広告全体の4%、2002年には15%という調査結果を報告している。オーバーチュアの鈴木氏は、「米国では2003年には30%を達成する。日本でも1~2年遅れで米国と同様の成長を遂げるはず」と断言する。

日本のインターネット広告の市場規模は、IDC Japanの調査では、2003年に約1100億円、2004年に約1800億円、2005年に約2600億円と、2003年から2年間で約2.4倍の規模に達すると予測。今後、検索連動広告の市場規模が米国と同様に拡大するならば、2003年で約46億円、2004年で271億円、2005年で770億円と、2年間で約17倍になり、インターネット広告市場の成長率を大きく上回る。これは、2002年のラジオ広告費1837億円(電通発表)の4割強に相当する規模である。

IDC Japanは、2005年にはインターネット広告全体の市場規模は約2600億円と予測している(出典:IDC Japan、2002)。本誌の予測では、2005年の検索連動広告のシェアは30%程度。約770億円もの規模になる。

クリック率

インターネット広告においては、広告が表示された回数の内、広告がクリックされた回数の割合を指す。クリック・スルー・レートと呼ばれることもある。